自分の思考の癖を知ることが好きだ。
どうして好きなのか、なにがキッカケだったのか、習慣からなにを得たか。
そんなことを探りながら書いている。
過去にも「家、ついて行ってイイですか?」における自己開示について」や、「始まりは、いつも外の世界を知ろうとすることからだった」、「15年前から私が本を読んだら必ず行っている2つの習慣」などを書いた。
今日は「後悔」について書こうと思う。
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<日々考えたことを書いた記事をまとめました>
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後悔するぐらいならやってみれば?という言葉
やらないで後悔するくらいなら、やって失敗してごらん。
人生は一度しかないんだから。
こんな話をよく聞く。
何かをやりたいと思った。
やりたいとは思ったけれど、失敗するリスクや環境の変化を考えてなかなか行動にうつせない。
ああ、どうしよう。
そんな時。
やらないでウジウジしているくらいなら、失敗してもいいからやってごらんよ。そんな話をされる。
例えば仕事。
旅に出るため仕事を辞めたい。旅に出ておけばよかったと後悔するくらいなら、仕事を辞めて旅に出なよ。
例えば結婚。
ズルズルと結婚を申し込まずに愛想を尽かされるくらいなら、思い切ってプロポーズしなよ。
例えば愛の告白。
言わずに後悔するくらいなら、フラれてもいいから伝えなよ。
人生にはやりたいことと、やらずに後悔することと、やって失敗したことが幾度となくあって、僕たちを悩ませてくる。
そんな時、あなたはどんな行動を起こすだろうか。
後悔しない選択を選ぶ難しさ
石橋を叩いて渡る、という表現がある。
意味は、用心の上にさらに用心を重ねて物事を行うこと、らしい。
向こう岸に渡りたい人が、人生の転機という大きな川を目にしたとき。
人はどんな行動を取るかで、人生は大きく変わる。
石橋を作り、叩いて渡る人。
石橋を作り、叩いても尚渡らない人。
石橋を作ったものの、これじゃダメだと諦める人。
石橋を作ったものの、叩きすぎで壊す人。
石橋を作らずに、飛び越えようとする人。
石橋を作らずに、他の簡易な方法を考えようとする人。
石橋を作らずに、とにかく川を渡ろうと前に進む人。
石橋を作らずに、船を作る人。
石橋を作らずに渡り、溺れる人。
きっと様々な人がいると思う。
あなたは人生を賭けてなにか大きなことをやりたいと思ったとき、どんな思考の癖があるだろうか?
後悔するくらいならやっちゃえよ、の落とし穴
26歳の時に安定した仕事を辞めて長い旅に出た僕は、きっと人から見れば
「石橋を叩かずに、ヒョイっと飛び越えて渡る」ように映っていたように思う。
自分自身ですらそう思っていた。
とにかくやってみれば?という精神が強く、後から帳尻合わせでなんとかなるから、とにかくスタートしちゃおうよ!というタイプの人間だと思っていた。
だが、旅から帰ってきて29歳になっていた僕は、やりたいと思ったことになにかの理由をつけてやらない人間になっていることに気がついた。
そういえば、旅の間もそうだったように思う。
旅の途中で無性に自転車旅をしたくなった。
なにか予定があるわけでもない旅なので、やろうと思えばいくらでもできたその願望は、お金がかかるとか自転車の知識がないとか次の予定があるとか適当な理由をつけて、結局実行することがなかった。
やりたいことをやりたくて旅したはずが、やりたいと思ったことから逃げて旅をしていることに気がついた。
不思議なものだ。
そんな自分に気づいて、ようやくスタートラインに立てたように思う。
僕自身が対岸を目にしたとき
そんな僕は、石橋を何度も叩いて数年様子を見た後に突然渡るタイプ、なんだろうなと思う。
なりたい自分と、現実の自分はなかなか違う。
あなたは対岸を目にした時、どんな行動を起こすタイプですか?
[…] 石橋を叩かずに飛び越える 、石橋を叩いても渡らない […]
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