先日会った友人が、台湾へ行った思い出を話してくれた。
マンゴーの甘さ、夜市の雰囲気、寺院の趣。
僕は楽しそうに話す友人の話を聞きながら、僕にとっての台湾の光景を思い出していた。
ツボとハナの話だ。
今でも時々思い出す、台湾と聞いて連想する僕の話を聞いてほしい。
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旅のエッセイ:始まりは、いつも外の世界を知ろうとすることからだった
旅のエッセイ①:旅する本に出会った奇跡的な出会いの話
旅のエッセイ②:生まれて初めて映画館で映画を見た記憶
旅のエッセイ③:人と人が繋がる場所は世界中にあったという話
旅のエッセイ④:僕が旅に出る理由
旅のエッセイ⑤:世界一周を終えて3年間旅をしなかった理由と、3年後に旅をして感じたこと
旅のエッセイ⑥:旅について考えてみた。旅に物理的な距離は必要なのか?
旅のエッセイ⑦:「また会おう」と握手した。「元気でいてね」とハグをした。
旅のエッセイ⑧:台湾と聞いて連想する「ツボとハナと夢」
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父と兄の台湾旅
随分前の話になる。
父と兄の二人だけで台湾へ旅行に行ったことがあった。2人だけの旅行はそれが最初で最後だと思う。
きっと父が行きたいと言い出し、大学生だった兄がそれに付き合った形だったのだと思う。当時僕はまだ高校生で、学校や部活を休むことができずに行けなかった。
そんな2人の旅は、お茶屋に行ったり、故宮博物館へ行ったり、ほのぼのとした良い旅だったそうだ。
父がツボを買ったことを除いて。
台湾でツボを買った父
普段、買い物が好きというわけでもなく、洋服やカバンにお金をかけることがない父。
そんな父だが、5年に1回ほどの割合で、家族がアっと驚くような買い物をする。
それが、このツボ。
なんと高さが僕の身長よりも高い。
重量も僕より重そうな気がする。
それってもうツボの役割を果たしてないよ?
花とか入れても、ちっとも顔を出さないよ?
水をいれたら最後、一生水を抜けないよ?
そもそもいくらなの、これ?
輸送費とかのほうがツボよりも高いんでしょ?
そんな疑問はいくらでも出てきたが、父が自分で稼いだお金で、大満足な表情をして買ってきたんだから仕方がない。
そのツボは実家の玄関で、長く我が家のシンボルとして飾られていた。
花も水も入れられることなく、もちろん僕の身長よりも高く、堂々と飾られてある。
僕自身も台湾へは行ったことがあるのだが、台湾を思い浮かべると、父がツボを買った話を思い出す。
そうすると、自然とハナのことを連想する。
いつものように酔っ払ってハナを買った父
これも20年ほど前の話になる。
休日の昼間からビールを飲んで酔っ払っていた父が散歩へ出かけてくると言った。
それならばと当時飼っていたウサギのエサが無くなっていたことを思い出した母は「散歩ついでに買ってきて」と顔を赤くした父に伝えた。
それから数時間後。
どういうわけか父が持って帰ってきたものは、ウサギのエサとは全く似ていない柴犬のハナだった。
全く意味がわからない。
「私と目が合って、連れて帰ってほしそうだった」
父は平然とそんなことを言っていた。
家族がアっと驚いた買い物、柴犬のハナ。
ちなみにそれ以前に家族がアっと驚いた買い物は、飛騨高山へ両親が行ったときにこれも酔っ払って一目惚れして買ってきた、とてつもなく大きな戸棚だった。
父の衝動買いではあったが、ハナは我が家にたくさんの幸福をもたらしてくれた。
ハナとの思い出
僕はハナと初めて出会った時のことを今でもハッキリと覚えている。
学校から帰宅すると、母親が玄関まで出てきてくれた。
「実はね、お父さんが…」
母がそう言った瞬間、知らない小さな柴犬が母に付いてくるように駆け足で玄関までやってきた。
「この犬、なに?」
衝撃的だったハナとの出会い。
おデブになる前は、階段を昇り降りできたハナ。
僕が家に帰って2階にある自分の部屋に行くと、ホクホクのうんちがあったこと。
それ以降、自分の部屋の扉は閉めることは僕のマイルールとなった。
虚勢手術をして帰ってきた日。
「わたし、病気ですから」といった雰囲気で、しばらくベッドに引きこもっていた哀愁漂う姿。
真っ暗な部屋のベッドに寝転がり、1人静かに過ごしていたハナが、とても寂しそうだったこと。
98年フランスワールドカップ予選の韓国戦で、山口素弘の芸術的ループシュートが決まった瞬間。
そのあまりの興奮に、家族が揃って大歓声を上げた。
「うおーーー!」
この声に驚いた居眠り中のハナは、突然ビクっと起き上がり、そこから全く動けなくなった。腰をぬかしてしまったらしい。
それ以来、ハナはサッカー中継がはじまると、賑やかなリビングから離れ、静かな父の寝室へと逃げ込むようになった。
いつもの朝のこと。目覚めて自分の部屋を出る「ガチャ」という音を聞くと、ハナが階段を駆け上り、尻尾を振って迎えに来てくれた。
ひと通り撫でた後に靴下を真上に放り投げると、見事にキャッチするハナ。
いつからか、そんな遊びもハナはやらなくなった。
ハナは穏やかで優しくて、散歩がきらいというおデブな柴犬。
みんなから愛されて、可愛がられた本当に素敵な犬。
そんなハナは、僕が長い旅をする数日前に亡くなった。
ツボは父に幸福を、ハナは家族に幸福を与えてくれた。
父の衝動買いもわるくない。
ハナと夢でサヨウナラ
2017年。ハナが亡くなって7年が経ったある日のこと。
僕は夢を見た。
舞台は、実家に住んでいたときの僕の部屋だった。
今では兄家族が住んでいるため、今はもう存在しない光景だ。
朝、目覚めて自分の部屋を出る「ガチャ」という音とともに、亡くなったハナが階段を登ってきた。
僕は夢の中で「ああ、夢か」とどこかで感じながら、夢の世界を楽しんでいた。
いつものように階段から登ってくるハナを撫でようとするも、ハナは僕を通り過ぎてそのまま部屋の中に入り、ベッドの上に寝転んだ。
「ハナ」
僕はハナに声をかけながら自室に戻ると、ハナはお腹を出しながらベッドの上で仰向けになって寝ていた。
犬がお腹を出しながら仰向けになって寝ているポーズは、きっと誰が見てもかわいい。
いつものようにお腹を撫でてあげようとすると、僕の右手を両方の前足でガっと掴まれた。
え?と思っていると、表面上は変化のないハナが僕の心の中で話しかけてきた。
「元気か?ありがとうな。もしかすると会うのはこれで最後になるかもしれないからな。お礼を言いに来た。昨日今日の仲じゃないからな」
その瞬間、僕は目を開けて、布団の中にいることに気がついた。
やっぱり夢だったんだ。
夢だと理解はしたが、寝ぼけている僕の意識は夢と現実の間を振り子のように揺れていて、頭が混乱している。
同時に圧倒的な睡魔に襲われ、そのまま眠りそうになる。
奪われそうになる意識をなんとか保ちながら、僕はこの瞬間が特別な瞬間であることを強く感じていた。いつものように頭の上に置いてあるスマホをなんとか手にし、ほとんど目を閉じながら、すぐに夢の中で起こったことをメモした。
そして、すぐに寝た。
その日の午後に、ふとスマホのメモ画面を見ると、こう書かれてあった。
元気か?
ありがとうな
もしかすると会うのはこれで最後になるかもしれないからな
お礼を言いに来た
昨日今日の仲じゃないからな
僕はこのメモを見返すまで、その日見たばかりの夢を信じられないくらいサッパリと忘れていた。
それはもう圧倒的に記憶を無くしていた。
不思議なものだ。あんなに衝撃的な夢だったのに。
だが、このメモを見た途端、この日の夢が鮮明に蘇り、夢の出来事を反芻するように思い返していた。
あれは、一体なんだったのだろう。
死後7年が経って、夢の中で出会ったハナ。
僕はあの時ハナにガっと勢いよく掴まれた感触を今もはっきりと覚えているし、それはとても素敵なことだと思う。
その日以来、ハナとは夢でも一度も出会っていない。
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