【誰かと会うことで思い出される記憶】あなたの最初の記憶はどんな光景だろう?

あなたの最初の記憶はどんな光景だろう?

その光景は、今のあなたに何かしらの繋がりがあるだろうか?

誰かと話していると、会話の流れから自分でも忘れていたような記憶を思い出すことがある。
そんな記憶の扉を開けるような瞬間が好きで、友人とゆっくりと時間をとって話ができる時には自分が連想したことや、友人が連想したことを拾えるようなアンテナを張っていたいと思っている。

先日、4年ぶりくらいに会った友人との会話から思い出した”記憶”について書こうと思う。

会話から記憶の扉は開かれる

久しぶりに会った友人との会話の中で、ふと両親の話になった。
友人が両親の性格やエピソードを話してくれているときに、「そういえば」と、記憶の扉を開いたように母親との印象的な出来事を話してくれた。

それは友人が小学校低学年くらいの時の話だった。

障害のある児童がクラスにいた。
児童は、鼻くそをひっつけたり、よだれを垂らしたり、それらを手につけて伸ばしたり、他の児童が見れば「うわっ」と思うような、そんな存在だった。

小学校低学年だった彼女は、周りの児童と同じように「うわっ」と思い、その児童を遠ざけていた。無理もない。大人になった今とは異なり、多くの小学生にとって、鼻くそやよだれは「うわっ」となってしまう。

そんなある日。
授業参観かなにかで、母が学校に来る機会があった。

学校に来た母は、障害のある児童がよだれを垂らしながらグラウンドで佇んでいるのを見た。母はそんな児童に近づき、そっと手を差し伸べて児童と手をつないで歩いた。

友人は、母が児童と手をつないで歩いている光景を、後光が差したように眩しく見えたと話した。そして、誰にでも優しい母親として、温かい思い出とともに今でもずっと記憶に残っていると話してくれた。

 

僕はその話を聞いたときに、その光景を「温かい光景」としてインプットした友人のことを、やっぱり温かいなと思った。

子どもの感覚は正直するぎ余り、時に残酷でもある。
「うわっ」と思う児童と手をつないだ母のことを「うわっ」と思う視点だってありえただろうに、インパクトのある温かい光景として残っていることがとても感動的だった。

あなたの最初の記憶はどんな光景だろうか?

この話を書いていると、そういえば自分の最初の記憶はどんなものだろう?と考えてみた。
きっと、今この文章を読んだあなたも、考えたはずだ。

僕には生まれて初めて映画館で映画を見た記憶が僕にはうっすらとあって、その映画はゴジラだった、という記事を過去に書いた。

【ゴジラとガラパゴス】生まれて初めて映画館で映画を見た記憶

幼稚園くらいの時期の記憶はいくつかあって、思い出そうと思えば、けっこうたくさんの映像が浮かんでくる。

・幼稚園の廊下を女の子と肩を組んで二人三脚しながら走ったこと
・年長組と混じって跳び箱を跳んだこと
・幼稚園のお遊戯会でイカの役の白いタイツが嫌だったこと
・東京に住むおばあちゃんが遊びに来たときに「大きくなあれ」とマッサージをしてくれたこと
・5歳上の兄と友人とで近所でサッカーをして、日向小次郎張りのスライディングタックルをかまし、兄の友人の女の子を骨折させたこと

なんだか、記憶が記憶を呼んで、次々と映像が浮かんでくる。
そんな記憶の繋がりが、おもしろい。

再会できたことで、僕の記憶は更新される

久しぶりに会った友人は、相変わらず明るく素直で、とても穏やかな気持ちになることができた。
数年間会うことはなかったが、こうやって昔と距離感が変わらずに時間を共有できることは嬉しい。

せっかく気の合う人と出会うことができたのだから、こうやって再会できたことはとても価値のあることだ。

きっともっと遠い先の未来に今日のことを思い出すことがあって、そのときにきっと僕が見ていないはずの「友人の母が児童と手を繋いだ温かい光景」が浮かんでくる。
その光景を楽しみにして、また友人と会いたいと思う。

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