この記事では、「妄想がもたらす効果」について考え、綴っています。
「妄想から小説を書いている」という人と出会い、そういえば大人になって妄想ってしなくなったなあと考えたことがキッカケで考え始めました。
今回は「妄想」をテーマに、妄想がもたらしてくれること、どうして今の自分は妄想しなくなったのかなどを考え、生活に役立てる思考へと整理したいと思います。
■自分の身の回りで起こった出来事ことから自分なりに噛み砕いて考えたことを書いた記事を「考えたこと」とカテゴリーで分類しているので、ぜひ読んでみてください。
目次
【妄想から作品づくり】妄想がもたらす効果について考えた理由
冒頭にも書きましたが、先日、僕の写真展を見に来てくれた方で「自分の趣味であるサウナを舞台に、サウナでの出来事を妄想し、小説作品としてアウトプットしている」という方とお話する機会がありました。kindleで出版もされている方です。
確かに小説を書くということは「頭の中で物語をつくり、それを文章で表現する」という作業で、「妄想」から作品をつくるということと繋がっているなと話を聞いて感じたんですね。とても面白い。
妄想することにはメリットもデメリットもあるでしょうが、作品のアイデアを作ったり、心を豊かにしてくれるような一面があるでしょう。
その方の話を聞いて強く感じたのは、「そういえば、僕自身は全然妄想をしなくなったなあ」ということです。もう、全くしません。
イメージはしますよ。
例えば、今日はこんな仕事があるからこういう対応をしようとか、こういう風に構成して説明しようとか、より現実的なイメージはしますが、全くないことを想像して楽しんだり、あり得ないことを強く確信して頭の中で話を進めていくようなことは、全くしなくなりました。
みなさんは、妄想しますか?
とはいえ、「全くしなくなった」と書いた通り、僕自身も妄想をしていた頃はありました。高校生や大学生以前の頃でしょうかね。
例えば、自分が好きになった子との未来や、自分の将来の様子といった現実的な妄想から、この世界に自分だけが生き残っていてあとはゴーストタウン化しているといった非現実的な妄想まで、様々な妄想をしていたように感じます。
では、どうして僕は妄想しなくなったのか考えてみました。
「妄想から作品づくり」妄想がもたらす効果と、妄想しなくなった背景
僕が妄想をしなくなった理由を整理して考え出してみると、主に4つあることがわかりました。
きっと、皆さんにも思い当たることがあるでしょう。
妄想をしなくなった背景 ①やらなければいけないことに迫られている
1つ目は、やらなければいけないことに迫られているからです。
簡単に言うと、「妄想なんてしてる時間なんてないよ」という話ですね。
社会人になって仕事を始めると、次から次へと仕事がやってきます。子育てをしている今は、子どもと遊んだりお風呂に入れたりと、次々とやらなければいけないことがでてきて、いつの間にか時間が過ぎていってしまいます。
「妄想」をするには、ちょっとした「時間の余白」が必要で、やらなければいけないことに迫られているような状況では妄想に時間を割く余白がなくなってきているというのが原因としてあるでしょう。
妄想をしなくなった背景 ②空いた時間はやりたいことをやっている
2つ目は、他のやりたいことをやっているからです。
簡単に言うと、「やりたいことをやっていると妄想している場合ではない」ということです。
社会人になって時間がないのは①でもお伝えしましたが、もちろんその中でも空いた時間はあります。
じゃあ、空いた時間は妄想に当てよう!という人はなかなか珍しく、空いた時間は自分の趣味ややりたいことに時間を当てますよね。
そうやってやりたいことをやっていれば時間やエネルギーを消費していいき、妄想に当てる「エネルギーの余白」を割くことはできなくなっていきます。
妄想をしなくなった背景 ③更にある隙間時間は、スマホが埋めている
3つ目は、かつて妄想をしていた時間にスマホを見ているからです。
簡単に言うと、「妄想よりもスマホだよね!」という行動をしていることです。
実はこの理由が最も大きな理由なのかもしれませんが、妄想をしなくなったこととスマホが普及したことは因果関係があるでしょう。そんなデータないだろうけど(笑)
過去を振り返ってみると、妄想は①や②のように「わざわざ時間を作ってする」ものではなく、ちょっとした隙間時間にすることが多かったですよね。
例えば、電車の待ち時間や、電車に乗っているときや、家に帰ってソファでくつろいでいる時ですね。
そういった自然と妄想に当てていた「隙間の余白」を、スマホは奪いとっていったように思います。
それが良い・悪いは、また別の話ですけどね。
妄想をしなくなった背景 ④「授業」を受けていた時のような時間がない
4つ目は、ぼんやりとしている時間がないことです。
簡単に言うと、「授業中みたいな拘束力のある暇時間がない」ということです。
ここまで書いて思い出してきましたが、そういえば、最も妄想していた時間は「授業中」だったかもしれません。
当時から授業中に携帯電話を使用することは許されていませんでしたし、なんとなく先生の話を聞いているものの全ての時間に集中しているわけでもなく、やることと言ったら妄想することくらいしかない、といった環境的な要因が大きかったように思います。
そういった、ただただ一つのことをぼんやりとやるような「環境の余白」がなくなったのも大きいように思います。
「妄想から作品づくり」妄想の効果と上手な付き合い方まとめ
ここまで散々、「妄想をしなくなった」と書いてきました。
きっと今の自分には必要がなくなったから自然と妄想しなくなったのでしょうが、「サウナの前はいつも憂鬱 ー心が弱った日に読む 8つのサウナ小説と短歌ー」の作家さんの話を聞いて、「妄想」は作品づくりに大きく役立つということはとても納得でき、意識的にそういう時間を作ってみたくなっています。
本来の妄想とは少し離れているかもしれませんが、僕のやってみたいことは「瞑想」に近いかもしれません。
「自分の頭の中の庭を、自由に走り回させたい」といった感覚のように思います。
妄想ではなく、瞑想に近い考え方でしょうが、その効果を考えて上手に付き合っていくことは、僕の人生をより豊かにしてくれるヒントになるような気がします。
のめり込みすぎると、思い込みが激しくなってしまったり、現実から目を背けてしまうといった危険性はあるでしょうが、頭の中を自由に走り回せるといった創造性を育む面は期待できるでしょう。
作家さんとの出会いから、「想像が創造をもたらしてくれる」ということを思い出させてもたいました。
この思考が実現したときには、また報告の記事を書きたいと思います。
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