この記事では、なにかとニュースになっているけれど、あまり理解できない「イスラエル・パレスチナ問題」について、現地を旅した僕なりの経験と理解のもとで解説しています。
専門家でありませんが、旅人としての僕なりの知見から、誰にでもわかりやすいように、僕が現地で撮影した写真やイラスト付きで解説していきます。
目次
【パレスチナ問題】イスラエル・パレスチナ問題をイラスト付きで簡単解説
この記事を読めば、「パレスチナ問題」と聞いて、歴史や宗教の全体像がイメージできるようになります!
※かなり端折って説明しますので、足りない部分や決定的な事実ではない部分があるかもしれませんがご了承ください。
というのは、僕自身が以前にイスラエルとパレスチナ自治区を旅し、そこで色々と感じることがあったからです。
2021年5月にパレスチナのガザ地区へのイスラエル軍による攻撃が激化し、パレスチナに住む多くの一般市民が亡くなりました。
どうして、こんなことが起こるのか?ということについて、歴史とともにイラストや写真を交えてお伝えします。
イスラエルとパレスチナには歴史的にもドラマのような展開が現実に起こっているので、きっとこの記事を最後まで読めた方は驚きますよ。
【パレスチナ問題を簡単解説】イスラエル・パレスチナ問題の基本情報
イスラエル・パレスチナ問題は、どこで起こっているの?
それでは、イスラエル・パレスチナ問題について解説していきます。
まず、イスラエルとパレスチナってどこにあるの?ということです。
こちらの地図を見てください。
イスラエルは、エジプトやヨルダンやレバノンといった、中東諸国に囲まれた国です。
中東というのは、文化的にイスラム教を信仰している国が多く、アラブの世界です。
そして、パレスチナはというと、そのイスラエルの中にポツリと点在する土地です。下の地図のオレンジ色の部分ですね。
なんと「進撃の巨人」の世界のように、高さ8mの壁に囲まれていて周囲を巨人の代わりにイスラエル軍に包囲されています。
場所はわかりましたね。
これは現在の地図ですが、第一次世界大戦があった頃は、この地はイスラエルではなく、イギリスが統治した「パレスチナ」としてアラブ人が住んでいました。
そうです、70年ほど前までは、現在イスラエルと呼ばれている土地はアラブ人の国・パレスチナだったんですね。
イスラエル・パレスチナ問題は、だれの争いなの?
では、このイスラエルとパレスチナの問題は、誰による対立なのか?ということですね。
これは、ユダヤ人(イスラエル)と、アラブ人(パレスチナ)による対立です。
結果から言うと、今は、ユダヤ人の国・イスラエルが圧勝中です。
イスラエル(ユダヤ人)とパレスチナ(アラブ人)が、土地を巡って争っていますが、90%以上の土地がイスラエルのものになっています。パレスチナは10%に満たない土地で、進撃の巨人の世界のように大きな壁を作られ、多くの難民者を出し、イスラエル軍に囲まれながら生活をしています。
ユダヤ人というのは、ユダヤ教を信じている人で、ここで言えばイスラエルに住んでいるユダヤ人です。
ユダヤ教というのは日本ではあまり馴染みがありませんが、キリスト教の由来となった宗教です。あのイエス・キリストもユダヤ人だったという説が有力です。
信仰の深い方は、モミアゲがクルクルで、特徴的な帽子をかぶり、黒いマントのような服でお祈りをします。
アラブ人というのは、イスラム教を信じ、アラビア語を話し、アラブ文化のもとで暮らしている人です。
パレスチナ問題は、この二者の対立構造なのはわかりましたね。
では、どうしてこの問題が起こり始めたのでしょうか?
それは、今のイスラエルがある「エルサレム」という土地が、特別な場所だからということが大きな原因となっています。
イスラエルの「エルサレム」は三大宗教の聖地
エルサレムを語るには、宗教を語る必要があります。
「えー、宗教!?」と、毛嫌いしないでください。
今も昔もほとんどの争いは、宗教や人種の違いによって始まっています。
「ほかの人のことを認めよう!」とは、小学生の頃から口を酸っぱくなるほど言われてきたことだと思いますが、これは大人ができないから子どもに「君たちは、ほかの人のことを認められるようになるといいよ!」と、自分たちができもしないことを押し付けてくるパターンで、他の人や民族や宗教を認めることは、とても難しいことです。
もちろん、「他者を認めること」は最も重要なことの1つですし、最近ではその社会的な流れが大きくなってはいますが、それがとても難しいことなのは、よくわかりますよね?
同性結婚や選択性夫婦別姓すら認められないような大人社会なわけですから。
この「イスラエル・パレスチナ問題」も、「他者・他文化・他宗教を認められないこと」が大きな原因の一つとなっています。
なんと、エルサレムには三大宗教であるイスラム教・キリスト教・ユダヤ教の「聖地」とされる場所があるのです。
例えば、ユダヤ教でいうと「嘆きの壁」と呼ばれる、かつてあった由緒ある神殿の外壁があります。
キリスト教でいうと、イエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬され、復活したとされる場所である。
かなり特別な場所ですよね。
イスラム教にとっては、ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされます。
これも特別な場所です。
嘆きの壁
キリスト教
岩のドーム
つまり、三大宗教の「特別な聖地」が、ひとつの町に存在してしまうという、なんとも無茶苦茶な場所なんですね。
野球好きな人にとって、「阪神」と「巨人」と「ソフトバンク」が大阪を本拠地にします!みたいなもんです。
漫画・クローズが好きな人にとっては、とある市に「鈴蘭」と「宝仙」と「黒焚連合」があるようなものです。
ジャニーズ好きにとっては、「SMAP」と「嵐」と「SEXYZONE」のメンバーが同じマンションに暮らしていて、そこにファンも一緒に住んでるみたいな状況です。
そりゃ、混乱するし、喧嘩するよって話ですよね。
【パレスチナ問題を簡単解説】イスラエル・パレスチナ問題は、なぜ起こる?
イスラエル・パレスチナ問題は、どうして起こった?歴史①〜イギリスの二枚舌作戦〜
イスラエル・パレスチナ問題が、どうして起こったのかというのは、時間を少し遡る必要があります。
時は、第一次世界大戦の頃です。
第一次世界大戦の頃は、歴史的にとにかくドンパチのガチ戦争を行っていたので、各国がお金も人材も必要な時代でした。
その頃、今のイスラエルという国がある場所・パレスチナには、1000年以上アラブ人が住んでいました。1000年です。果てしない時間ですよね。
当時のパレスチナは、イギリスの支配下にあったのですが、そこではアラブ人が生活をしていたんですね。
そこで、出てくるのが強国・イギリスです。
第一次世界大戦の最中ですので、イギリスはとにかくお金が必要でした。
そこで、話をもちかけます。
イギリス:「ねえねえ、ユダヤ人さん。お金をくれたらパレスチナをにイスラエルというユダヤ人の国を作るけど。どう?」
ユダヤ人富豪:「マジ?ユダヤの国、つくってくれるの?お金なら、出す出す!!!」
と、いったかはわかりませんが、こんな話の流れがあったとされています。
しかし、イギリスの交渉は続きます。ユダヤ人だけではなく、パレスチナに住むアラブ人にも交渉をもちかけたのです。
これが、イギリスの二枚舌作戦です。
イギリス「ねえねえ、アラブ人さん。パレスチナの独立を約束してあげるよ!」
アラブ人「マジ!?なんでも協力する!」
と、いったかはわかりませんが、こちらも、こんな話の流れがあったとされています。
つまり、イギリスは矛盾した約束を、どちらとも交わし、話を進めていったのです。
そして、イギリスは、より旨味のあるユダヤ人の味方をすることになり、パレスチナにユダヤ人が入植し始めるようになっていきます。
イスラエル・パレスチナ問題は、どうして起こった?歴史② 〜第二次世界大戦〜
第一次世界大戦が終わりました。
イギリスは勝ち、ドイツは負けました。
負けたドイツは、もうお金がスッカラカンになり、国が貧窮に喘いで大混乱に陥ります。
そんな時に現れたのが、ヒトラーです。
「自分たちがこんなに貧乏なのは、とにかくユダヤ人のせいだ!ユダヤ人を追い出そう!」と、選挙で掲げ、なんとこれが勝ってしまいます。そして、ユダヤ人は大量虐殺されていきます。
そうです、今イスラエルでパレスチナから土地を奪ったとされているユダヤ人です。
ユダヤ人もまた、そういった歴史があるのです。
今となっては不思議なことですが、当時のドイツ国民の状況を体験していない僕には、その選択を咎めることなんてできません。
国がどれくらい混乱していたのか、どれくらい希望がなかったのか。
あとから「それは間違っていた!」と軽々しく総括することはできますが、その時はそれしか選択がなかったんでしょう。民の多数の意見として、それが認められたわけですから。
そうやって第二次世界大戦の頃にはユダヤ人が「ユダヤ人であるだけ」で、強制収容所で虐殺されるような時代があったのです。
有名なアウシュビッツ強制収容所ですね。ここも僕は行きましたが、本当に凄まじかった・・・。
「アンネの日記」や、「ライフ・イズ・ビューティフル」、「ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして」などで、この時代については知ることができるかと思います。興味のある方は見てみてください。
話をもとに戻します。
第二次世界大戦が終わり、ユダヤ人がとんでもない迫害を受けたことが世界中に知れ渡り、世界はユダヤ人への同情の想いがハッキリと強い流れになっていきます。110万人が虐殺されたと言われていますからね。
また、「ユダヤ人大富豪の教え」という本もありますが、ユダヤ人はお金を稼ぐのが得意な人が多く、アメリカを始め世界各地でユダヤ人が資産を築き、権力を持つようになっていきます。
そうした流れから、国連が「パレスチナの土地に、ユダヤ人が国をつくることを認めます!」という宣言をすることになります。翌年、パレスチナの土地に「イスラエル」という国が誕生します。
もともと住んでいたパレスチナからすると「は?なに言ってんの?」です。
今まで1000年間住んでいた場所を奪われる決定を、国際期間である国連が決定したのです。
その時は割合でいうと、ユダヤ人が53%、パレスチナ人が47%と決定されました。
突然、「もう、君たちの場所じゃないから、早く出ていってね」ということを言われたわけです。
当然、そんな決定に納得できないパレスチナや周辺の国々の争いが、中東戦争に発展していったということです。
だけど、アメリカを含む世界中の後ろ盾のあるイスラエルはとても強く、どんどんと土地を奪っていき、居住地を奪われ、周辺のヨルダンやシリアやレバノンといった国へ逃亡する人も含めてアラブ人の難民が続出していきます。
今となってはパレスチナの土地はたった8%になっています。
その土地も、全て高さ8mの大きな壁に囲われ、イスラエル軍によって完全に包囲されています。
まさに現実版・進撃の巨人の世界が完成しているわけです。
イスラエル・パレスチナ問題を、旅の経験から目の当たりにして
「パレスチナ・ガザ地区」という単語がニュースでよく出てくるかと思いますが、ガザ地区はその壁の中のエリアを指しています。
僕はイスラエルを旅した際に、その壁の中のパレスチナへも行ってきました。
当然ですがそこは、アラブ人生活するアラブの国でした。
僕は世界を旅した際に、「あなたの夢はなんですか?」と出会った方々に夢を尋ねて写真を撮っていました。
その写真群はアイデムフォトギャラリーが主催したプロキオン・フォースというコンテストで入選し、「旅と夢」という個展をギャラリーで開催させてもらうことになりました。
►参考:写真展「旅と夢」
その写真展で展示した写真の1つに、ヨルダンで出会った青年の夢がありました。
ヨルダンのジュース屋さんで出会った青年は「Back to Parestina」と言ったのです。
故郷に帰りたい
旅を続けていると、ふと日本に帰りたくなる時がある。もちろんすぐに帰ることはないのだが、いざとなったら帰りたい時に帰れる場所があるという安心感は、旅を続けていられる原動力にもなった。
イスラエルとパレスチナの紛争から故郷のパレスチナを追われ、ヨルダンの首都アンマンで暮らしている青年と出会った。自分の国を追われ、居場所を失って異国で暮らし、帰りたい場所に帰ることができない環境を想像する。
「自分の夢は、自分の国に帰ることだ」
こんな夢があるということを、想像すらしたことがなかった。
「自分の夢は、自分の故郷に帰ること」
そんな夢があることが、僕には想像ができませんでした。
パレスチナで偶然出会った青年が言ってくれた言葉が、今も心に残っています。
パレスチナ問題を解説した本・書籍
パレスチナ問題をわかりやすく解説してくれている本・書籍を紹介します。
今回の簡単解説でパレスチナ問題に興味をもってくれた方は、ぜひ読んでみてください!
まんが パレスチナ問題
1冊目は『まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)』です。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の違いって何? エルサレムはなぜ特別なの? イスラエルはどうやって建国されたの?といった疑問が、かわいいタッチのマンガでわかりやすく書かれています。
続編もあって、とても人気の一冊です。
ぼくの村は壁で囲まれた
2冊目は『ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち』です。
子どもたちの視点から語るパレスチナ問題を描いた一冊です。「やっと本物の入門書が出た。」という帯がある通り、誰が読んでもパレスチナ問題の現状を理解できる本です。
【パレスチナ問題を簡単解説】イスラエル・パレスチナ問題のまとめ
イスラエル・パレスチナ問題について解説していきました。
この土地を巡る宗教や民族の争いについて、流れがわかって頂けましたか?
まとめてみるとよくわかりますが、全ての立場の方々の行動は、時代によって翻弄され、選択肢が他になく行っていることがわかります。
「イギリス、最低だよ」
「イスラエル、ひどい」
今、この瞬間に、こうやってまとめることは簡単です。
ただ、全ての行動が時代によって翻弄され、こうするしか生き残ることができないような状況になっていき、他に選択肢がない中で行動したとも言えます。
イギリスにとっては、嘘をついてでも、自分たちの国民を守りたかったはずです。
ユダヤ人にとっても、ボロボロになった状況では、その土地にすがるしかなかった。
ナチス・ドイツを肯定した民意も、それだけが唯一残された希望だった。
パレスチナ人にとっては、その土地をどうしても守りたくて戦うしかなかった。
全ての選択が、時代の流れと、限られた土地と、自分たち以外の宗教によって、翻弄され、今の結果になっています。
後になってからや、遠方の立場から、誰かを責めることはとても簡単ですが。今その瞬間に当事者となった方々にとっては、こうするしかなかった。
その結果が今に至っているのは忘れてはいけないと思いました。
あなたは、この話を聞いて、どう思いましたか?
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