この記事では、多くの若者がデモに参加してニュースとなった「香港民主化運動」について、僕なりの経験と理解のもとで解説し、自分の考えを綴っています。
専門家でありませんが、現地を訪問した経験のある僕なりの知見から誰にでもわかりやすいように、僕が撮影した写真やイラスト付きで解説していきます。
この記事を読めば、「香港民主化運動」と聞いて、香港の歴史や現在の全体像がイメージできるようになります!
※かなり端折って説明しますので、足りない部分や決定的な事実ではない部分があるかもしれませんがご了承ください。
目次
香港民主化運動で若者はなぜデモを起こした
香港民主化運動についての記事を書こうと思ったのは、僕自身が以前に香港や台湾・チベット自治区という中国でありながら違った側面をもつ地域を旅し、そこで色々と感じることがあったからです。
2019年に香港でデモが激化し、13人が死亡し、8000人以上の逮捕者が出てしましました。
そのデモでは、若者が率先して活動し、日本でも話題になりましたよね。
どうして、こんなことが起こるのか?香港に住む若者たちはなにを訴えているのか?ということについて、歴史とともにイラストや写真を交えてお伝えしてきます。
■旅を通して知ったことや、考えたことを書いた記事をまとめています。
パレスチナ問題はなぜ起こる?イスラエルとの関係をイラストで簡単解説
香港民主化運動で大規模デモが起こった背景・歴史
SOGEN
特に若者がやっているって、日本ではあんまりイメージが湧かないけれど…。
そうですよね、「デモ」って日本ではあまり行われていないイメージですよね。
たくさんの逮捕者を出しながらも香港の若者たちがデモを行った最大の理由は、「香港を中国の支配下に置かれたくない!」ということです。
香港を中国の支配下に置かれたくない!
自分の考えを自由に発言したり、管理されたくない!
日本では、2017年頃に「SEALDs」という若者団体が平和安全法制に反対するべくデモを行っていたことはありますが、最近はまた見なくなりましたよね。
香港の若者たちがデモを行ったのには当然背景や理由があります。
その理由を説明するには、香港の位置や歴史を少し語る必要があるので、少しお付き合いください。
背景はいいから今のことだけ知りたい!という方は、「若者たちがデモを起こし、香港民主化運動が起こった理由とは?」まで、一気に飛んで頂いても構いません。
香港ってどこ?
それでは、香港民主化運動について解説していきます。
まず、香港って、どこにあるの?ということです。
こちらの地図を見てください。
※Wikipediaより参照
香港は、中国本土の南側にある島々ですね。ひとつの島ではありません。
「100万ドルの夜景」と称されるように、香港を紹介する時には、南の香港島から九龍半島を見る時に使います。なので、メインの都市は香港島や九龍半島となります。
僕は2010年に訪れたとき、九龍半島に宿泊していました。とても栄えている場所でした。
また、中国の広州からバスで香港に入り、香港を出るときは電車に乗って中国の深センに入りました。気軽に行き来することができます。
場所はわかりましたね?
香港民主化運動の流れ・経緯・歴史を解説
それでは、香港の民主化運動が起こった背景を説明していきます。
これには香港を巡る「歴史」が大きく関わってきますので、説明していきますね。
香港民主化運動が起きた歴史-1800年代-
前回のイスラエル・パレスチナ問題でもお伝えしましたが、ほとんどの問題の背景には歴史や宗教が大きく関わってきます。
今回の香港の問題でいうと、香港がどこの国に属していたか?ということが大きいですね。
時は1840年。イギリスと清の間でアヘン戦争が起きました。この戦争はイギリスが圧勝し、「香港島を永久にイギリス領土とする」条約を結びます。
土地を奪い合っていた時代ですね。
その後、1856年にイギリス・フランス対清のアロー戦争が起きます。この戦争もイギリス軍が圧勝し、今度は「九龍半島を永久にイギリス領土とする」条約が結ばれます。
もう、やりたい放題です。
その後、1988年に新界と呼ばれる深センよりも南の地域を、「99年間イギリスに貸す」ということも決まります。
そうです、完全にジャイアンです。当時、強さを持つということは、こういうことです。
おまえのものは俺のもの、俺のものは俺のものが、国と国の間でリアルにあった時代です。
その結果、今の香港と呼ばれる地域は「イギリス領土」という期間が長く続きました。
こう書くと、なんとひどい!と思う方も多いかもしれません。もちろんそういう側面もありますが、その結果、香港島はイギリス式の自由な経済のもと発展していき、免税対策を行ったなどの結果から中国本土とは比べられないくらいの経済発展を遂げていきます。
アジアのハブ空港として栄え、経済は発展し、食文化も豊かになり、恩恵を受けた方はきっとたくさんいます。もちろん、反面として失ったものもあるでしょう。
なにがいいかはわかりませんが、1800年代から1900年代後半まで、香港にはこういう歴史がありました。
香港民主化運動が起きた歴史-1997年から2012年-
そして、1997年。99年間イギリスへ貸していた新界は、中国へ戻ることになります。
その際、新界だけではなく、「永久にイギリス領土ね!」と約束されていた香港島や九龍半島も、「植民地ってよくないよね」という時代の流れとともに、中国へ返還されることになります。
当時、僕は小学生でしたね。もちろん、よくわかっていませんでしたが、ニュースになっていたことを覚えています。
そして、ダウンダウンのごっつええ感じでホンコンさんが、その返還の瞬間の香港を訪ね、「ホンコン返還!ホンコン返還!」とバカ騒ぎしていた映像を覚えています(笑)
参照:https://twitter.com/g1991_97/status/880949673988509696/photo/3
そうして、香港は中国へ返還されました。
さて、香港市民はどう思ったでしょうか?
きっと様々な意見があったことでしょう。祖国に戻ることに喜んだ人もいたはずだし、中国共産党の管理化に置かれることがイヤだった人もいるでしょう。
イギリスと中国は全く異なる国ですからね。
自由経済で発展した香港市民が、いきなり政府によって「あれはダメ!」「これはダメ!」と管理されていくのではないかと心配になるのは当然でしょう。
そうした声が多かったこともあって、香港は中国に返還されましたが、「今の香港の体制をだいたいはそのまま残す」ということを中国は決めます。
香港は経済面で大きく発展していますし、中国にとっても旨味が大きかったんですね。ここに「一国二制度」の誕生です。
一国二制度とは、「香港の所属国は中国だけど、、香港と中国本土は制度は異なるよ」ということですね。
うまい具合に、みんなが納得できるような妥協案をとったという感じです。
ただし、中国はもちろん全ての「自由」を認めるわけではありません。
「選挙は、選挙委員だけしか投票できないからね」というルールを残します。
つまり、香港のトップは、中国共産党の息のかかった人がなるからね、ということです。
なので、香港市民には選挙権がなかったんですね。代表者も選べないのです。
香港民主化運動が起きた歴史-2012年から現在-
しばらくはこれまでとほとんど変わらなく過ごしていた香港と香港市民ですが、徐々に中国本土の管理体制が進んでいきます。
2012年に中国への「愛国教育」を必修化することが決定します。
これに、若者たちが「洗脳教育だ!」と、抗議のデモを行います。その先頭に立っていたのが、「民主の女神」と称される周庭さんですね。
これらのデモや民衆の意見が影響し、愛国教育の必修化は撤回されます。
民衆が声をあげることは、力があるんですね。
そして2014年、「雨傘運動」と呼ばれる大規模なデモが起こります。
大規模なデモをおさめるために催涙弾などを使う警察に対して、「自分たちは暴力を使わない」と傘を広げてデモを行ったニュースは、世界的なニュースとなりました。
さて、香港警察はそんなデモに対してどうしたか?
徹底的な権力と武力でデモをおさえにかかったんですね。
次々とデモ参加者を逮捕していきました。
香港のトップは中国共産党の息のかかった人たちなので、デモをおさめなければ中国本土になにを言われるかわからないと、徹底的に権力と力で民衆を抑えたわけです。
この時点で、既に「香港の自由は完全になくなっていた」と言っていいでしょう。
それに追い打ちをかけるように、2015年に中国共産党に批判的な出版物を取り扱っている本屋の店主が、次々と失踪するという事件が起きます。
その後、中国本土で8ヶ月間拉致・拘束されていたことが発覚します。
書店員はなんとか帰ってきましたが、「政権を批判するようなことがあると、こういう目に合うぞ!」という、強い見せしめですね。
「言論の自由」も完全に奪われているわけです。
2017年、さすがに世界から「選挙権がない」ということを指摘された結果、香港も直接選挙を導入することになります。
ようやく自由に選挙で香港の代表を選べる!と思ったものの、もちろんそんな簡単にはいきません。
今度は、「立候補者は指名員に決められた人しか立候補できない」という裏ルールが出来上がりました。
つまり、誰かが「香港を変えたい!」と、立ち上がろうとしても立候補できないような状況となったのです。
当然、立候補する人は中国共産党の息のかかった人だけしか、立候補できません。
制度だけが変わり、なにも変わっていないんですね。
香港の逃亡犯条例・国家安全法を解説
ここまで長かったですね。ようやく現在にたどり着きました。
でも、香港市民がどういう気持ちでデモを行ったのかが、わかって頂けたかと思います。
それでは、若者たちがデモを起こし、香港民主化運動が起こった理由について解説していきます。
2019年の逃亡犯条例改正案
2019年に逃亡犯条例改正案が審議されます。
これは簡単に言うと、「台湾や中国本で罪を犯した人は、台湾や中国本土へ送ることができる」という案です。
まあ、ありそうな案ですよね。
だけど、この案に市民は反対し、大規模なデモに発展しました。
この案が認められると、「罪人を中国本土へ送れるようになってしまう」というケースがでてくることを懸念しているわけです。
そしてこの罪人というのが、例えば「デモを行った人」というのも当てはまるわけですね。
つまり、香港で中国政府に批判的な意見を言った人が、逮捕され、中国本土へ送り込まれるといった懸念をしているわけです。
香港市民は、自分たちの言論の自由が、更になくなっていくことを心配したわけですね。
2019年の逃亡犯条例改正案による大規模デモ
そうして、逃亡犯条例改正案に反対した大規模なデモが行われます。
非暴力で訴えた雨傘運動が、圧倒的な権力と暴力によっておさえられたことにより、今回の香港市民は過激なデモを行う人が増えていきます。もちろん、そうでない人が多数です。だけど、少しずつ増えていきます。
「暴力には暴動を。もう黙って傘をさしているだけでは、意味がない!」という思考になっていったんですね。
そうなると、香港警察も更に激化した暴力でデモを抑えるようになります。
雨傘運動のときに87発打った催涙弾は、今回1600発打ち込まれることになります。
逮捕者は8000人。そのうち半数近くが学生で、高校生に実弾が当たることなります。
こうして、香港が暴動を起こしたデモを行っているという世界的な報道になっていったわけです。
2020年の国家安全法
そういえば、最近は香港のデモのニュースがあまり報じられていないよね?と思った方は、とても勘がいいです。
これは、中国本土と香港政府により「国家安全法」が施行されたことが大きな原因です。
この法律では、①から④の4つの行為が犯罪となることが決定しました。
①国家を分裂させる行為
②政権を転覆させる行為
③テロ活動
④外国勢力との結託
この法律は、中国本土が香港を自分たちの管理化に置くように制定した法律となるように捉えられています。
例えば
①国家を分裂させる行為を犯罪としたことで、「香港を独立させよう!」というような運動が犯罪とされる可能性があります。
②政権を転覆させる行為を犯罪としたことで、中国共産党や香港政府への批判が犯罪の対象となる可能性があります。
③テロ活動を犯罪としたことで、デモがテロと捉えられる可能性があります。
④外国勢力との結託を犯罪としたことで、諸外国へ支援を求めることが犯罪の対象となる可能性があります。
自分たちの権利を主張するための様々な行為が「犯罪」となり、その犯罪者は中国本土へ送られていく、ということが起こりかねないことに反対しているということですね。
この結果、現在ではデモを行うことによって逮捕されてしまう可能性があるということから恐怖を感じ、デモの活動や参加者が減ってきています。また、コロナの影響ももちろんですが、マスクをして顔を隠してデモ活動を行うようになっているのも、そのためです。
「安全になったから、主張が通ったから」と全く対局の結果により、デモが行われなくなっているんですね。
日本で生まれ育った僕たちは、当たり前のように言論の自由を保障されていますが、これは本当に当たり前ではないということですね。
権利の気球を沈めるな! 人権をテーマにした問いから多様性について考えるという記事でも書きましたが、私たちが当たり前のように恩恵を受けている「権利」は、生まれた場所が異なるだけで当たり前ではない世界が存在しているわけです。
►参考:権利の気球を沈めるな! 人権をテーマにした問いから多様性について考える
香港民主化運動を解説した本・書籍
香港民主化運動をわかりやすく解説してくれている本・書籍を紹介します。
今回の簡単解説で香港民主化運動や若者のデモ活動が起こった理由に興味をもってくれた方は、ぜひ読んでみてください!
わたしは分断を許さない/堀潤
1冊目は『わたしは分断を許さない 香港、朝鮮半島、シリア、パレスチナ、福島、沖縄。「ファクトなき固定観念」は何を奪うのか?』です。
香港の民主化運動だけでなく、世界各地で起こっている分断について、ジャーナリストの堀潤さんが現地取材を行っている本です。
香港の若者たちが、どんな気持ちからデモを起こし、どんな不安があるのかを語った一冊です。
本全体では「大きな主語」ではなく、「小さな主語」をテーマとしていて、一人ひとりへの取材から見えてくる「小さな主語」が響く一冊です。
香港危機の700日 全記録/益満雄一郎
2冊目は『香港危機の700日 全記録 (ちくま新書)』です。
香港の民主化運動について、民主派から親中派まで、市民から大物政治家までを徹底取材したドキュメントです。
今回の記事で香港と中国の関係性や、香港の民主化について興味をもった方は必見の本です。
香港民主化運動とデモについての解説 まとめ
長くなりましたが、以上が香港で民主化を訴えるデモが行われた理由です。
市民が暴力的な行動を行った理由にも、現在のデモの報道が減ってきているのにも背景があるんですね。
一国二制度と言われた香港と中国の関係は、完全に終わりを迎えてきています。
イギリスによる自由経済によって発展していった香港が、今後どのようになっていくのか、注目していきたいと思います。
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