私がブログを書こうと思った理由は、あの本の言葉にあった

私は過去に長い期間の旅をしていたことがあるのですが、その期間は日々の記録として、なかなかの頻度でブログを更新していました。

ただ、それ以降はブログというものに手を出そうとしては「書くことがないな」と続かなくなり、立ち上げようと思っては挫折する日々を送ってきました。

そうです。
自宅から仕事場への往復を繰り返すだけの単調な生活していると、ブログを書こうと思っても書くことが見つけられないんですね。

恐らく、こんな経験をしたことがある人は多いのでないでしょうか?

そんな私が2018年の11月にブログを書こうと思い立ったことには、あの本の言葉と日々の思考がガチっとリンクした瞬間があったからでした。

わたしの好きな旅って、どんな旅だろう?

先日、とある企画のトークイベントに登壇した際に、他のパネリストに対して「あなたの好きな旅は、どんな旅ですか?」という質問を投げかけた。

どんな旅ならば、満足して自宅へ帰れますか?
反対に、これがなかったら本当に楽しんだ旅とは言えないというこだわりはありますか?

ちょっとバカらしく聞こえるような質問。
そんな質問をしたことには、自分の経験と照らし合わせて参加者に思考してもらいたい1つのねらいがあったからだ。

あなたの好きな旅は、どんな旅ですか

次の長期休みに、どこへ行こう? そう考えたときに、検索する場所は?

私は長い旅から日本に帰り、日本で仕事を見つけ、たまにくる長期休みに2週間程度の旅をしていた。

沖縄のアイランドトリップ、インドのラダック、奄美大島の加計呂麻島、タイのプーケット、しまなみ海道を中心とした自転車旅、キューバ、メキシコのカンクン。

海が美しく、のんびりと過ごすことができるリゾート。
標高3000メートルを超える荒涼とした土地と山々。
独自の文化で発展した町並みや暮らし。

長い旅を経験した後に行った2週間程度の旅を通して、様々なジャンルの場所を旅した。
その中で、長い旅の間には見えなかった自分が本当に好きな旅が見えた瞬間があった。

 

長い旅をしていた時には、それこそ旅が日常になるわけで「とりあえずここへ行ってみよう」と、なんとなく次の旅先を決めることが多い。
反対に、仕事をしながら日常を生きていくと、2週間の旅という存在はとても貴重なものになる。

それこそ、失敗したくないという気持ちが自然と強くなった。
せっかく休みをとって、貴重な時間と少なくないお金をかけるのだから、「外れの旅」はなんとか避けたい。

そんな気持ちを抱えながら次の旅先をパソコン画面で検索していると、決まって「美しい海」にたどり着いたものだ。

素敵な部屋の窓から開放的な美しい海が見える場所。
ビーチに寝転んで日常の慌ただしさを忘れ、何も考えずにゆっくり過ごしたい。

そう考えて、自然とリゾートばかりを検索した日々が私にはあった。

ビーチで極楽生活

リゾートを旅した先に見えた、自分の心は?

リゾートの旅は、とても楽だ。
気候も温暖で、特にやることもなく、寝たい時に寝ればいいし、飲みたいときに好きなものを飲める。
少し泳げば美しい魚が泳いでいるし、おいしい魚介類も食べられる。

なんの不自由もないリゾート旅を楽しむ気持ちと同時に、どういうわけかなんとも言えない不完全燃焼感を感じた。

 

そんな時に、かねてから興味があったインドのラダックへ旅に出ることにした。

ラダックは標高3000メートルを超える荒涼とした大地で、チベット仏教を信仰する人々が築いた文化が発展し、圧倒的な自然を感じられる場所だ。

ラダックのレーの街

そこで僕はひょんなことから6000メートルの山を登ることになり(この話はまたいつか書こうと思う)、高山病に悩まされながら突然やってきた下痢と闘い、数日間かけて雪山の大地を歩くことになった。

その山での日々は大変に苦しく「もう二度とこんな登山はするまい」と何度も誓いながら、一歩一歩足を進めることになる。

歩を進めれば、空気の薄さから1500メートル走のラスト1周を3時間続けているような苦しさを感じ、
立ち止まれば、リュックの中のペットボトルの水が凍るような世界のため、猛烈な寒さがやってくる。

止まっても地獄。進んでも地獄。

気候は圧倒的な寒さで、寝たくても空気の薄さから深くは眠れず、飲みたいときに好きなものすら飲めない。
少し歩けば呼吸が苦しく、全くおいしくない伸びた麺を食べるだけ。

リゾートとは全く逆の世界。
ただ、その苦しさの先に、僕は圧倒的な楽しさを感じていた。

ストックカンリ山

帰国した僕は、この旅は今までで一番楽しかった旅だったな、と感じていた。

ラダックで気づいた旅の楽しさ」を書いたブログ。

ラダックで気づいた旅の楽しさ

不思議なものだ。
条件的には快適さとは全く逆にあるはずの旅が、今までで一番楽しかった旅だと感じたとは。

その時から僕は「自分が頑張ることで、達成感を感じられる旅」が好きなんだと認識するようになった。

自分の内側の世界は、なかなか見えない

1年半をかけた長い旅をしていた時には見えなかったこと。
快適で楽な世界だけでは見えなかったこと。

自分の内側の世界は、一番近い場所にあるはずなのに、なかなか見えていなかったのだ。

そんなことを思ったとき、1冊の本に書かれていた描写を思い出し、その言葉をメモしたノートを開いた。

世界の中心で愛を叫ぶのお気に入りの言葉

小説「世界の中心で愛を叫ぶ」に書かれていた描写

世界の中心で愛を叫ぶ
言わずと知れた大ヒット作品「セカチュー」だ。

片山恭一さんの小説版は300万部を超える大ヒット。
映画版は長澤まさみさんを世に送り出すきっかけとなったあの作品である。

そこで描かれた言葉は、こんな言葉だ。

わたしはね、今あるもののなかに、みんなあると思うの。
だから足りないものをお願いしたりする必要はないの。
だって、みんなあるんだもの。
それを見つけることの方が大切だと思うわ。

自分が本当に好きな旅とは、と考えたときに、この本の言葉が頭を巡った。

自分のことを、もっと知りたい。そう思った。

 

15年前から私が本を読んだら必ず行っている2つの習慣

15年前から私が本を読んだら必ず行っている2つの習慣

私がブログを書こうと思った理由

私は自分と対話をすることが純粋に好きなのだ。
自分がなにを考え、なにを好み、なにに感情が動き、なにをしたいと思うのか。

そんなことを考えて生きていきたいのだ。

ブログを書こうと思ったら、日々のネタが必要だし、日常のちょっとしたことに立ち止まって考えるようになる。
自分がどんなことに心が動くのかを知るきっかけになる、そう思えた。

きっとこの感覚は、写真を撮ろうと思ったときと似ているような気がしている。

今日は写真を撮ろうと思い立ってカメラをぶら下げ、いつもの道を、いつものように歩いたときは、不思議と毎日歩いているはずの道が、全く違った世界に見えることがある。

よく見ているのだ。全く異なった視点をもって、見つめているのだ。
草花の彩りを、光の陰影を、誰かの表情を。
いつもと同じはずの、そこにあったものを。

今あるものをしっかりと見つけていくために、僕はブログを書こうと思う。

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