「あの子は机の上のものとかをすぐに触ったりするな」
父がちょっと笑って、ちょっと呆れたような声で、娘と接した感想を僕に伝えた。
3歳の娘は気になったものは触りたくなる性格で、どんな場所でもよく手を伸ばしてる。
レストランでもそう。
机の上のナプキン、タバスコ、店員呼び出しボタン。
小さな体で一生懸命腕を伸ばすし、突然椅子の上に立って手を伸ばすもんだから、服にハンバーグのソースがかかってしまうし、水もよくこぼす。
実は父が言った言葉も、机の上の水をこぼした後だった。
「多動で、目についたものはやりたくなっちゃうんだよねぇ」
僕は普段から娘と接してる中で思っていた感想を、父に伝えた。
そんな会話の流れから、父は「子どもの自尊心」について、僕にある言葉を伝えてくれた。その言葉が頭の中から離れない。
今回は父との会話から「子どもの自尊心について」考えたことを書きます。
子どもの自尊心を傷つけない言葉かけや関わり
久しぶりに僕の両親と会って食事をした。
じいじとばあばに会えて嬉しそうな娘だけど、それ以上に嬉しそうなじいじとばあば。
ばあばは「欲しいもの言いなさいよー、なんでも買ってあげるわよ」と鼻息をフンフン鳴らしてるし、アル中気味のじいじは会ったときには既に酔っ払っていて足腰がフラフラな上に娘を抱っこしようとしてあやうく転倒しそうになっていた。
娘にとって、久しぶりに対面したじいじとばあばは、日々の暮らしからは異世界の人間で、「なんか変わった人たちだなあ」と思ってたかどうかは知らないけど、まあそんなことは関係なく喜んでいた。
そしてテンションが上がって、食事のテーブルについても落ち着かず、挨拶がわりに水をこぼした。
「Hello,Restaurant!!」
そこで、父の冒頭の言葉だ。
「あの子は机の上のものとかをすぐに触ったりするな」
一通り食事を終えて、隣に座った父が娘に聞こえないような小声で話しかけてきた。
「多動で、目についたものはやりたくなっちゃうんだよねぇ」
「まあ、でも年齢とともに落ち着いてくるからな」
「そうだねぇ」
父がどんな感情で言ったのかを読み取れなかったけど、いつかは今よりももう少し落ち着くだろうから僕も相槌をうった。
「まあ、でもな。これくらいの子どもに今やんなきゃいけないのは、子どもの自尊心を傷つけないようにすることだよ」
「水をこぼしたり、やっちゃいけないことをやるだろうけど、できないことを否定したり、繰り返しやっちゃうことを注意しすぎて自分はダメな子なんだって思わせたり、その子の存在を認めないようなことを言ったりしないことだな」
?
??
???
「小さい子との関わりは、子どもの自尊心を傷つけないようにしていればいいんだよ」
正直、父にそんな考えがあったなんて、びっくりした。
アル中とか言ってた自分を一瞬反省しそうになったけど、事実だからまあそれは反省せずに置いておくとして、そんな何気ない父との会話が、帰りの車中でも頭の中で何度も思い出してこうやって文章に書いている。
大人が知らない間に子どもの自尊心を傷つけるまでの流れ
今でこそ毎日昼間から酒を飲み続けていてフニャフニャになってるアル中の父だけど、僕が小学校から大学くらいまでの学生時代は常にカチカチの恐い存在だった。
父はリビングにデンと座ったまま一歩も動かず巨人戦と時代劇を見続け、冷蔵庫まで自分で歩くこともなく母に「おい!」と言ってビールを持ってこさせ、いつもリビングでそのまま真っ赤な顔をして寝た。
あ、やっぱりアル中だ。
でも、緊張感のある仕事をしていたこともあって、とにかく人生を仕事に集中していることはわかった。
家に帰ってくるとほとんど言葉を発することなく自分のペースで生活をしていて威厳があった父は、僕から見て昭和の父を代表した恐い存在だった。
そんな父から発せられた「小さい子には、子どもの自尊心を傷つけない関わりをしてればいいんだよ」という言葉が、頭の中を反芻する。
この記事を書いている今も、父がこの言葉に至った経緯と意味を考えている。
「自尊心を傷つけられる」ってのは、どんな状態なんだろう?
「どうしてそんなことばっかりするの!」とか「いつもこぼしてばっかり!」とか、親がトラブル続きの子どもにそんな言葉かけ積み重ねて、【自分はダメな子なんだ、できない子なんだ、どうして自分はこんなことばっかりしちゃうんだろう?】と、子どもに思わせるような状態のことかなと僕自身は解釈した。
大人がやってしまう「子どもの自尊心を傷つける流れ」は、こうだ。
わかりやすく簡単にまとめると、こんな流れ。
これに近いことって、子育ての世界ではあるあるだし、きっと大人が働く社会でもあるある。
もしかすると、気づかないところで、僕自身も誰かの自尊心を傷つけてるかもしれない。
あなたはどうだろう?
子どもの自尊心を傷つけないために大人ができること
確かに僕自身から見ても、子どもながらに怖かった父だけど、自尊心を傷つけられるようなことを言われた記憶はない。
もしかすると強い言葉かけをすることで、その場の落ち着きは培われるかもしれない。
子どもがレストランでテーブルのものを触ろうと意気揚々としているところに、「どうせ水をこぼすから絶対触るなよ」と言えば、きっと水はこぼさない。
だけど、こぼした水以上の代償が待っているかもしれない。
落ち着きのない時期に、子どもの自尊心を傷つけないことって簡単そうで、意外に難しいんだけど、アル中の父が言ってくれた言葉が僕の胸に残っていて、きっと小さな娘を救ってくれるような気がしてる。
アル中の父って何回も書いて、早速父の自尊心を傷つけてるかもしれないけど。
父が伝えれくれた「自尊心」について、頭の中で考えたことをまとめました。
言葉かけや行動パターンから考えたこと まとめ
日々の生活で生まれた言葉や行動から、いろいろなことを考えてまとめています。
「褒めることや褒められること」について考えた
【人に褒められたいのに他人に厳しい僕たちは、他人が褒められると自分の価値を下げたように感じてしまう】
は、大きな反響があった記事です。
「石橋を叩いて渡る」という諺から考えた自己分析
「石橋を叩いて渡る?石橋を叩いても渡らない?」
も、役立った!というお声をいただきました。
興味のある記事があれば、読んでみてください!