人に褒められたいのに他人に厳しい僕たちは、他人が褒められると自分の価値を下げたように感じてしまう

褒められたいのに、褒めることをあまりしない私たち

本業では自分より若い世代と話すことが多いのだが、その中で顕著に思うことは、とにかくみんな褒められたいんだなということと、その割に人を褒めることを避けがちだなという印象がある。

褒められたいってのはきっと世代に関係なく、いつだってみんなそうだ。そりゃ僕だって褒められたい。
「ブログ、面白いですねー」なんて言われたらグイグイと「え、なにが面白いですか?」と、もっともっと褒めてもらうことを求めたりする。

でも、そんなことを直接伝えてもらえることはなかなかない。

なぜか?

もちろん「ブログが面白くないから」ではないはずで、例えそうだとしてもその理由はここでは置いておく。

僕の中の答えはでている。
それは、世間は褒められたい割に人のことを褒めることはあまりしないという特性があるからだ。

 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<日々考えたことを書いた記事をまとめました>

日々考えたことの記事は埋もれてしまうので、メニューにまとめることにした


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

できる人を見ると、できない自分はダメな人間だと位置づける

僕は人を褒めることが本業の大部分のようなところがあるので、きっと人より多く人の良い部分を見つけることができるから、尚のことそう感じる。

ではなんで、みんな人の良いところを褒めないのだろうと思って注意深く観察していたら、自分なりの答えが見つかった。

他人が褒められていると、自分の立ち位置が下になるような感覚になるのだ。
他人が幸せだと、自分が幸せではないように感じるのだ。
他人が素敵なものを作っていると、作っていない自分は素敵ではないと焦るのだ。
他人ができると、できない自分がダメなのだと感じるのだ。

 

人が認められていると、認められていない自分の存在が否定されたように感じている人が、無意識的に多いように思う。

例えば、仕事ができる人がいて、仕事ができない自分がいる。
仕事ができない自分に焦り、戸惑い、パニックになって泣いてしまう。
そんな光景を見たことがある。

だけどそれは、今できる人がいるだけで、今はまだできない自分がいるだけ。
それだけのことなのだが、できる人を見るとできない自分はダメな人だと思ってしまう

そんな心当たりがないだろうか?

他人が褒められたからといって、自分の価値は下がらない

もちろん、他人が褒められたからといって、自分が下になるわけではないし、他人が幸せだからといって、自分が不幸せになるわけではない。
文字で書くと当たり前のことのように感じるが、これが意外に理解して自分に捉えるとなかなか難しい。

ただ、その人が得意だっただけ。
ただ、その人の今が幸せなだけ。
ただ、その人の一面が優れているだけ。

そんな一部分のことならば、「すごいね」って単純に褒めてあげればいいじゃない。

あの人が出来ただけで、あなたがダメなわけじゃない。
あの人の今が幸せなだけで、あなたが不幸せになるわけではない。

人生は相対評価ではなく、絶対評価であったほうが、あなたの人生と向き合え、幸福を得られるはずだ。

ロジックを知っているだけで、心は軽くなる

では、なぜそんな思考になるのかと考えれば、その根源は「嫉妬」なのかなと思う。

嫉妬というのは恐ろい感情で、時に立ち位置から一歩も変化していないはずなのに、不思議と自分が後退したような錯覚を起こさせる。

僕たちはみんな褒められたくて、だけどなかなか人は褒めてくれなくて、褒められない自分の評価を自然と下げる傾向にある。

そのロジックさえわかれば、そんなサイクルを受け入れて、人を褒めてみたらいいはずだ。

知っているというのは最強の武器で、それだけで心を正常に保つことができる。
「ああ、このパターンね」と捉えられることが、安心を与えてくれる。

最初に”若い世代”と書いたのは、若くない世代は経験的にそれを理解していて、熱中していることやアイデンティティになっているものなんかの一部例外を除いて人と比べずに自分のペースを保てるようになっていくからだと思う。その結果、素直に褒められる人が増える。

反対に、若い世代は多くの範囲で人と比べがちで、これが当てはまりやすく、自分の価値を下げないためにも簡単に人を褒めない。

人を褒めない社会はやっぱり窮屈で、苦しい。

 

そんなことを考えて、今日誰かを褒めてみてください。

4 Comments

さすらいのひよこ0291

タイトルとほぼ同じ、検索キーワードとしては やや長めの文章を入力したら一番上に来たのがこの記事でした。

本当に今の人は他人を褒めないですよね。
まるで「褒めると損をする」と考えているように見えましたが、記事を読んで腑に落ちました。
本気でそう考えているということなのですね。

同時に「匿名だと非常に容易に批判の言葉を口にする」
「友人・知人だと余計な軋轢を避けるためにノーコメントを通す=良い or 悪いと感じても敢えて何も言わない」という特性もあると感じます。

それすべて「自分だけが可愛いから」という狭量さ、あるいは
「なんとしても自分だけは守りたい」という必死さの現れなのかも知れません。

持論なのですが、セブンポケットというか、若い人はとにかく子供の頃から大人たち(両親祖父母等)に褒めちぎられて育ってきたので「自分が何者でもあるし、何者にもなれる」という幼児的な万能感に 場合によっては20歳をとうに過ぎても支配されていて、それで「自分より実績のある人」を拒絶してしまうのかも知れませんね。

————-
ある一定の年齢以上の大人(私もそうです)が比較的寛容で人を褒めることも出来るのは(同じ年齢でそうでない人も沢山居ますが)
・仕事など、自分の専門分野ではそれなりの実績を残してきた 自負と
・宇宙飛行士や大金持ち、超一流のアーティスト・スポーツ選手などにはなれなかった という諦めの気持ちが両方作用した結果のようにも思われます。
少なくとも私はそうです。
「~~~にはなれなかった」という厳然たる事実があるので、「なれた人」に対しては もう褒めるしかないのです。
潔い敗北宣言と言えるのかも。
10歳も20歳も下の若き天才たちに対してもそういう感情を持ちます。嫉妬心は起きません。
「年間賞金〇〇億円を獲得して〇〇(家・高級車)を手に入れた」と聞くと、たとえばその車が欲しい場合 少し羨ましく感じますが(笑)

そう言えば、若者も超一流アーティストや、美形のスポーツ選手等は絶賛しますね。
絶賛=ファンになることで自己同一化を図り、自分も頂点に立った高揚感を得られるからかも知れません。

本当に「褒めるのはタダなんだから褒めれば良いのに」と思いますね。
そうすればお互いに褒め合える優しい世界が作れるかも知れないのに。

「嫉妬が恐ろしい感情」と書かれていますがまさにそのとおりだと思います。
身近な自分ではない誰かを褒めることができず、嫉妬、それに基づいた悪口、批判、誹謗中傷、妨害…
そうやって他人を蹴落として行けばどうなるでしょう?
この世はまさに、カンタダにお釈迦様が垂らした蜘蛛の糸を取り合う「地獄」と化してしまうのではないでしょうか?

「天国にも地獄にも長い箸があって、目の前に美味しいご馳走がある」例えをご存知でしょうか?
天国では長い箸を交互に使って、相手の食べたいものを進んで取ってあげるのでみな満腹になれて幸せだが、
地獄ではそんなことはしないので、長い箸でなんとか自分の口に食べ物を入れようとするが出来ず 空腹のまま、奪い合いを永遠に続けるという話です。

私は長い箸で相手の口にまず食べ物を入れてあげたい(そして3口食べさせてあげたら、そのうちに1口くらいは食べさせてほしい)と思いますが、私の口に食べ物を運んでくれそうな人はだれも居ないのです。

「優しい人ばかりの世界に行きたい」と思いますが、
それは「自分は良い人間なのだから、天国に行きたい」と切望することと同義かも知れません。

私は強欲なのでしょうか?
どうしたら、幸せになれるのでしょうね。

まとまりの無い文章すみませんでした。またよろしくお願いします。

返信する
SOGEN

コメントありがとうございます。
>「友人・知人だと余計な軋轢を避けるためにノーコメントを通す=良い or 悪いと感じても敢えて何も言わない」という特性もある
これ、まさにその通りだなと思いました。

幸せになる方法はわかりませんが、やっぱり自分の周囲を温かい空間の連鎖にしていくことが大切なのかなあと思っています。
なので、今日も誰かを褒めてみるといいかもしれませんね!
即効性はないかもしれませんが、きっと今よりも少しだけ幸せな空間になっていくような気がしています。

またよろしくお願いします。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です