人に褒められたいのに他人に厳しい僕たちは、他人が褒められると自分の価値を下げたように感じてしまう

褒められたいのに、褒めることをあまりしない私たち

本業では自分より若い世代と話すことが多いのだが、その中で顕著に思うことは、とにかくみんな褒められたいんだなということと、その割に人を褒めることを避けがちだなという印象がある。

褒められたいってのはきっと世代に関係なく、いつだってみんなそうだ。そりゃ僕だって褒められたい。
「ブログ、面白いですねー」なんて言われたらグイグイと「え、なにが面白いですか?」と、もっともっと褒めてもらうことを求めたりする。

でも、そんなことを直接伝えてもらえることはなかなかない。

なぜか?

もちろん「ブログが面白くないから」ではないはずで、例えそうだとしてもその理由はここでは置いておく。

僕の中の答えはでている。
それは、世間は褒められたい割に人のことを褒めることはあまりしないという特性があるからだ。

できる人を見ると、できない自分はダメな人間だと位置づける

僕は人を褒めることが本業の大部分のようなところがあるので、きっと人より多く人の良い部分を見つけることができるから、尚のことそう感じる。

ではなんで、みんな人の良いところを褒めないのだろうと思って注意深く観察していたら、自分なりの答えが見つかった。

他人が褒められていると、自分の立ち位置が下になるような感覚になるのだ。
他人が幸せだと、自分が幸せではないように感じるのだ。
他人が素敵なものを作っていると、作っていない自分は素敵ではないと焦るのだ。
他人ができると、できない自分がダメなのだと感じるのだ。

 

人が認められていると、認められていない自分の存在が否定されたように感じている人が、無意識的に多いように思う。

例えば、仕事ができる人がいて、仕事ができない自分がいる。
仕事ができない自分に焦り、戸惑い、パニックになって泣いてしまう。
そんな光景を見たことがある。

だけどそれは、今できる人がいるだけで、今はまだできない自分がいるだけ。
それだけのことなのだが、できる人を見るとできない自分はダメな人だと思ってしまう

そんな心当たりがないだろうか?

他人が褒められたからといって、自分の価値は下がらない

もちろん、他人が褒められたからといって、自分が下になるわけではないし、他人が幸せだからといって、自分が不幸せになるわけではない。
文字で書くと当たり前のことのように感じるが、これが意外に理解して自分に捉えるとなかなか難しい。

ただ、その人が得意だっただけ。
ただ、その人の今が幸せなだけ。
ただ、その人の一面が優れているだけ。

そんな一部分のことならば、「すごいね」って単純に褒めてあげればいいじゃない。

あの人が出来ただけで、あなたがダメなわけじゃない。
あの人の今が幸せなだけで、あなたが不幸せになるわけではない。

人生は相対評価ではなく、絶対評価であったほうが、あなたの人生と向き合え、幸福を得られるはずだ。

ロジックを知っているだけで、心は軽くなる

では、なぜそんな思考になるのかと考えれば、その根源は「嫉妬」なのかなと思う。

嫉妬というのは恐ろい感情で、時に立ち位置から一歩も変化していないはずなのに、不思議と自分が後退したような錯覚を起こさせる。

僕たちはみんな褒められたくて、だけどなかなか人は褒めてくれなくて、褒められない自分の評価を自然と下げる傾向にある。

そのロジックさえわかれば、そんなサイクルを受け入れて、人を褒めてみたらいいはずだ。

知っているというの最強の武器で、それだけで心を正常に保つことができる。
「ああ、このパターンね」と捉えられることが、安心を与えてくれる。

最初に”若い世代”と書いたのは、若くない世代は経験的にそれを理解していて、熱中していることやアイデンティティになっているものなんかの一部例外を除いて人と比べずに自分のペースを保てるようになっていくからだと思う。その結果、素直に褒められる人が増える。

反対に、若い世代は多くの範囲で人と比べがちで、これが当てはまりやすく、自分の価値を下げないためにも簡単に人を褒めない。

人を褒めない社会はやっぱり窮屈で、苦しい。

 

そんなことを考えて、今日誰かを褒めてみてください。

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