探検家・角幡唯介の心に響く名言・名文まとめ【角幡唯介さんの本から抜粋】

この記事では「探検家・角幡唯介さんの心に残る名言」を紹介しています。

探検家として極北や未踏地を探検する角幡唯介さんはその探検もさることながら、ノンフィクションライターとして優れた言葉を多く発し、名言がたくさんあります。そんな探検家・角幡唯介さんの名言を紹介します。

極夜行/角幡唯介の名言

▶どんな本?

角幡唯介さんの傑作本。
白夜の反対の極夜という真っ暗な世界を、犬ぞりとともに数ヶ月間旅する角幡唯介さん。GPSも持たずに六分儀と地図だけで自分の位置を把握し、真っ暗な世界を旅していく様子は、絶望や希望や復活や未知や妄想や無力や前進や誕生や愛情が描かれていて、つまりは人生が描かれている。
死をも覚悟した状況で四ヶ月間の極夜生活の先に見た太陽の光の描写が最高だった。

四ヶ月以上も一人で北極を旅する?

 

四ヶ月以上も一人で北極を旅する?
そのうち二ヶ月以上は太陽のない曲夜の暗闇?そんなことをして何の意味があるんだ?私はこの旅の準備に四年間もの歳月をかけていた。だが、いざ出発が現実味を帯びてくると、気分はひたすら重苦しくなるだけだった。近づけば近づくほどそれが正気の沙汰とは思えず、これから自分がそんな孤独な世界に入り込むことが、とてもではないが信じがたいことのように思えてくる。
できることなら旅の出発から逃れたかった。最低でも先延ばしにしたい。

 

冗談ではなく、俺の人生は終わったと思った。

 

冗談ではなく、俺の人生は終わったと思った。
私には短い人生の中で三十五歳から四十歳という期間は特別な期間だという認識があった。なぜなら、体力的にも感性も、経験によって培われた世界の広がりという意味においても、この年齢が最も力のある時期だからだ。
この時期にこそ人は人生最大の仕事ができるはずであり、その時期にできるはずの仕事を最高なものにできなければ、その人は人生最大の仕事、さらに言えば人生の意味をつかみ損ねると、そのように考えていた。

 

出生とは、人間がひとしく経験する人生で最大の冒険なのである

 

生まれ出んとする子供もまた同時に混乱の渦の中心にいたはずだった。子供は受精してから十ヶ月月ほどの間、私の妻の毬腹の中で気持ちよく、ぬくぬくと順調に育ち、そして十二月二十七日夕方のあの時間、子宮という温かい羊水に包まれた原初的な 暗闇の中の楽園を後にして、産道から飛び出すことを決めた。
その時に子供が感じていたのは、それまで慣れ親しみ、慈しみに満ちていた母体との一体的空間を離れて、完全に未知で予測不可能な外の世界に飛び出すことへのためらい、恐怖だったはずである。子供は強烈で原初的な不安を感じたはずだ。そのとき初めて子供の精神には意識と言うものが生じたのである。
強烈な不安を抱えた子供は、わけが分からないまま捩じり出されるように産道を通過して、外の世界に飛び出した。それから、おずおずと目を開き、まぶしい光を感じた。母体と言う始原の闇空間から生まれて初めて目にしたもの、それは光だったのだ。
出生とは、安心安全な母体空間から未知で危険な外の世界に旅立つという絶体絶命な瞬間だ。つまり、出生とは人間が等しく経験する人生で最大の冒険なのである。

 

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極夜行前/角幡唯介の名言

▶どんな本?

極夜行の旅を成し遂げるには、数年間の準備期間があり、その準備期間を描いた本。
極夜行前も多くの旅人にとっては一世一代級の旅なのだが…。
準備だけで一冊の本を作れるというから、いかに極夜行がとんでもない旅だったかがわかる。

私の人生のもっとも充実した時期のすべてを費やした

 

この極夜の探検は、私の人生の最も充実した時期のすべてを費やした計画だった。
私には人生で充実した仕事ができるのは、そう長いことではないという人生観があった。若い時は、体力があっても経験や知識が伴っていないので、思考が浅いし発想も乏しい。言葉も生まれてこない。
一方、年齢を重ねると経験と知識に厚みが出るので、思考や言葉に深みが増すものの、発想に体力が追いつかなくなっていく。
おそらく発想や思考と体力がつり合った調和のとれた状態は、三十代後半から、せいぜい四十頃までの五年間しかないだろう。
極夜の探検は、まさにその五年間にあたっていたし、自分でも今が充実の五年間で、かつ、その後半にさしかかっているという認識があった。

 

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探検家とペネロペちゃん/角幡唯介の名言

▶どんな本?

角幡唯介さんが結婚し、女の子の父になった。子どもができることで、”あの角幡唯介”が、こうなったのか!と、思わず笑ってしまう一冊。
探検家にとって、自分の足で未開の地を歩き、挑戦することが生きがいだったはずで、それこそが生きる意味だったと思う。それらを味わってきた探検家が登ってきたどの山よりも、「娘と一緒に登った平凡な天狗岳ほど感動した山はない」と書かれた素晴らしき一冊。

この子は今、生まれてはじめて達成感というものを知ったのだ。

 

「すごかったね、あおちゃん、全部一人で歩いたんだよ。あおちゃんしかできないよ、こんなこと。登ってよかった」
二十二年前に登山をはじめて、私もこれまで多くの山々を登ってきた。厳冬期の北海道の山を一ヶ月近くかけて縦走し、屋久島の沢を単独で縦断した。冬の黒部峡谷も横断したし、幻の滝と呼ばれる剱沢大滝も完登した。雪崩にも三回埋まった。
でも、娘と登ったこのときの天狗岳ほど感動した山はない。橋を渡りきったペネロペが感動の言葉を叫んだ瞬間、私はもう駄目だった。心が震え、頬のまわりの血管が膨張し、鼻頭に何か熱いものがこみあげてきた。言葉を口にしようとすると、涙がこぼれそうになる。
この子は今、生まれてはじめて達成感というものを知ったのだ。ひたすら身体を動かし、困難を乗り越え、目標を達成したときに突き上げてくるあの清々しい気分が、身体全体にくまんくみなぎるのを感じているのである。自分の子どもが手にしたものの大きさを想像するだけで、私は心臓を素手で掴まれたように心が震えた。

 

こいつ、今、生きてるな…と感じずにはいられなかった

 

妻は事あるごとにニンプはさぁ、ニンプってさぁと、いかにニンプであることが特殊で異常な非日常的状態であるかを口にした。
その口ぶりは何やら自分がニンプであること、ニンプ族の一員であることに誇りと敬意を持っているようにすら感じられた。そんな妻を見ていると、こいつ、今、生きてるな…と私は感じずにはいられなかった。

 

どのような未知を探検しているか知りたくて仕方がなかった

 

私は成長し、言葉を獲得していくペネロペを見ながら、いったいこの子はどのような未知を探検しているのか知りたくて仕方がなかった。

 

すべては見えているが、自分と直接関係する物体として意味化されていない

 

ラッシュ時の池袋駅の人混みの中をケラケラと愛くるしい笑い声をあげて天衣無縫に走ってまわっていたあの一歳の冬、彼女の瞳に足早に歩く大人たちの脚は、映ってはいたが、その無数の脚は自分と切実に関わりがあるものとしては認識されていなかった。
関わりあるものとして認識されていないため、無数の脚はただ通り過ぎてゆく景色・絵図としてしか見ておらず、脚が怖いとか、脚が邪魔だとかいった 切実な感情を彼女に呼びを起こさない。だから時々、脚にぶつかって転んだ時も、なぜ自分が転んだのかわからない様子で、ただ困惑し呆然としていた。
すべては見えているが、自分と直接関係する物体として意味がされておらず、彼女の意識の中では実態的に把握されていなかった。

 

『エベレストには登らない』の名言

▶どんな本?

角幡唯介さんがアウトドア雑誌BEPALの月一連載を書籍化したエッセイ本。
どうして結婚したのか、自宅購入を毛嫌いしていたにも関わらず鎌倉に自宅を購入したこと、GPSや衛星電話等を持たない探検活動についてなど、僕たちとは全く遠くにあるはずの探検と日常をリンクさせながら、おもしろおかしく短い文章で書いた一冊。

「いい人生」とはなにか考えた

「いい人生」とはなにか考えた。

 

いい人生とは、結果がどうあれ、決断できた人生のことをいうのではないだろうか。

 

行為の充実度を高めるためには

 

行為の充実度を高めるためには自由度を高める必要がある。そして、自由度を高めるには行為中の時間と空間に対して自己が関わる領域を広く、そして深くする必要がある。

 

書くことによって体系的に捉えることができる

 

書くことは単に記録する事ことに留まらない、もっと積極的な作用がある。
それは書くことによって脳内に薄ぼんやりとしか存在していなかった思考の断片に言葉を与えられ、体系的にとらえることができるという作用だ。

 

冒険は最終的に自己満足の世界

 

冒険は最終的に自己満足の世界なので、その行為に自分がどれだけ主体的に関われたかで手応えがかわる。

 

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『そこにある山-結婚と冒険について』の名言

▶どんな本?

人はなぜ冒険し、山に登るのか――その謎を解き明かしたのは、結婚だった。
どうして結婚したのか?という問いに、「事態」という言葉をキーワードに思考が展開していく。「事態」とはなんなのか?
探検家が探検をする理由は、人が結婚する理由と同じだった!?

不確定状況が確定状況に変わったその瞬間に、生きている手応えを得ることができる

 

将来を見据えて何かを理性的に判断しようとするとき、人はまず不確定要素を取り除こうとするだろう。
冒険や探検で実感するのは、不確定要素を取り除こうとするのは人間の生き物としての本能だということだ。冒険とは、未知という不確定状況を自ら望み、その不確定状況のなかに己の身を投げ入れ、でもその不安に耐えきれず、不確定状況を確定状況に変えようと努力する、その一連の行動のことである。
なぜこんな矛盾した行動をとるかといえば、不確定状況が確定状況に変わったその瞬間に、生きている手応えを得ることができ、そこにほかでは経験できない面白味があるからなのだが、こうした矛盾のなかで足掻くからこそ、冒険をしていると人間にとって不確定状況がいかに嫌な感じがするかよくわかる、ともいえる。
不確定状況というのは将来が見えないことであり、現在から先の時間軸上に闇が覆いかぶさった状態のことをいう。先が読めないのだから、これはリスクそのものだ。冒険者はリスクを望み、そしてそのリスクを乗り越えることを業とする者だが、これはあくまで冒険者特有の心理であり、冒険をしない一般の人々はそもそもリスクなど望んでいないのだから、最初からこれを避けようとするだろう。なんらかの事態が発生してそれに理性的に対処しようとするとき、まず優先されるのは不確定状況というリスクを回避することである。
「なぜ結婚したのですか?」という質問の裏にも、このリスク回避の発想が見え隠れしている。

 

ただの無機質で無意味な<地形>から、私にとって有意味な命ある<目印>に昇華する

 

たとえば氷床の上にある、きわめて微妙な、場合によっては目の錯覚では、とも思われる、のっぺりとした丘みたいな盛りあがりが、私の思考的意識に反応し、ランドマークとして機能しうることをがある。
「実は私はランドマークとしてあなたのお役に立てるんです」などと丘が語ることはないわけだが、しかしまあ、そんな感じでそこにあるようになる。そして、その丘らしき地形のランドマーク的機能に気づいたとき、私はまた地図を見て、あの丘らしき地形はもしやこの等高線の大きな円のある場所なのか?などとその存在可能性に気づく。
このように私が外界を志向し、意識を外側にかたむけることによって初めて、その、何と呼んでいいかもわからない丘らしき盛り上がりは、ただの無機質で無意味な<地形>から、私にとって有意味な命ある<目印>に昇華し、そこで自らの存在物としての主張をはじめる。
と、このように不随意運動みたいに意識しないまま行っている過程のなかに、私と北極との関わりが決定的なものとして潜んでいるのである。

 

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『新・冒険論』の名言

▶どんな本?

冒険とはいったい何なのか?GPSに頼る北極探検や、スポーツ化した登山は疑似冒険であって冒険ではないと主張する角幡唯介さんが語る「冒険」とは?
「脱システム」をキーワードに、探検について考える。

世の中には別のものの見方が存在することを示したいから

 

私自身、自分の冒険行・探検行を文章にまとめて物語にして発表しているのは、自分自身の行動を誇示し、それこそ昔の神話の英雄のように特別な体験をした人間として見せつけたいからではなく、世の中には非日常の領域があり、そこには別のものの見方が存在することを示したいからである。そしてこの別のものの見方から、今、我々が当たり前のものとして何の疑問もなく受け入れているものの見方を眺めてみると、それが決して当たり前のものに思えなくなるということを知ってもらいたいからである。

 

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角幡唯介作品から心に響いた名言・名文まとめ

探検家・角幡唯介さんの作品から、至極の名言・名文を選んで紹介しました。

僕は本を読んでは、好きな言葉をノートにうつす作業を15年間続けています。
自分の血となり肉となったノートをたまに見返しては、勇気をもらって前に進んでいて、今回は角幡唯介さんの言葉を紹介しました。

旅は人生と紐付けられることがよくあって、旅をしたことで得た気づきは、人生にも役立つことが多々あります。
他にも、アラスカを探険した星野道夫さんや小説家の伊坂幸太郎さんの名言を特集した記事もあるので、ぜひ読んでみてください!